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かきこみマッブでちからをつける
鳥瞰図で全体をつかむ
空間の把握がとてもしやすく。
平地図との併用で目的地への想像力を養える。
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一目でわかる鳥瞰図に
見学地図もあわせて掲載。
全体を大づかみに理解して
地図を使おうという考えです。
手描き鳥瞰図は手前から後方まで
縮尺率が正確に維持されています。
国会議事堂(こっかいぎじどう) 塔の高さは65.45m。日本政治の中心となる建物である。現在の建物は大正9年(1918)から17年もの歳月をかけ、国産の資材を用いて設計、技術など日本人の手で完成された。正面に向かって右側が参議院、左側が衆議院。道路を隔てて首相官邸や憲政記念館、国会図書館などが建つ。衆議院見学TEL03-3581-5111 D5
日本水準原点(にほんすいじゅんげんてん) 日本の陸地測量「標高基準」となる点が明治24年(1891)に設置され、ここに納められた水晶板のゼロ目盛りの高さが、東京湾平均海面上24.500mと決定された。国会前に立つ。 D5
憲政記念館(けんせいきねんかん) 議会開設80周年を記念して開館。憲政の歴史を映像や多くの資料から学び、議場体験コーナーで国会の雰囲気にも触れ、国会の役割が詳しく理解できる体験学習も可能。TEL03-3581-1651 D5
警視庁本部庁舎(けいしちょうほんぶちょうしゃ) 桜田門から虎ノ門一帯は広島、福岡など20藩もの大名屋敷があったが、明治維新で空き地となり、大震災後霞ヶ関に官庁が移ってきた。昭和55年、近代的な機能をもつ庁舎となった。警視庁本部庁舎の警察参考室や通信指令センターが見学できる。TEL03-3581-4321 E5
霞ケ関官庁街(かすみがせきかんちょうがい) 江戸時代は大名や武家屋敷が置かれた。明治になって官庁は、丸の内の大名屋敷跡に設けられたが、明治5年(1872)の大火以後、外務省が所在し、霞ヶ関という言葉は外務省の代名詞として慣用されてきた。建設省(現国土交通省)や大蔵省(現財務省)は大手町、文部省(現文部科学省)は一ツ橋、通産省(現経済産業省)は木挽町(中央区)にあったものが、今は霞ケ関に集まり官庁街をなしている。 E5
二重橋/皇居外苑(にじゅうばし/こうきょがいえん) 江戸時代に木橋の橋桁が二重になっていたので二重橋の名がある。江戸城が美しく見える名所のひとつ。白砂利のしきつめられた広場は皇居前広場。その周辺は皇居外苑として黒松が配された広大な史跡公園となっている。 E5
最高裁判所(さいこうさいばんしょ) 茨城県産の花崗岩で覆われた地上5階建、地下2階の重厚な建物は、126億円をかけて建造された。裁判制度が学べ、166席の傍聴席と15名の裁判官が座る大法廷が見学できる。TEL03-3264-8151 D4
国立劇場(こくりつげきじょう)校倉造をアレンジした近代建築で、歌舞伎・文楽・古典芸能を上演している。隣接する伝統芸能情報館では伝統芸能について資料展示している。TEL03-3265-7411 D4
半蔵門(はんぞうもん)伊賀忍者、服部半蔵正成の組屋敷があった。江戸城の裏門にあたり四谷、新宿を経て甲州街道・青梅街道に直結していた。 D4
英国大使館(えいこくたいしかん)直接濠をへだてて吹上御苑に面し各国大使館中抜きんでた位置にあり明治期における大英帝国の権威をしのばせる。大使館前の桜並木は、明治30年(1897)当時の公使アーネストサトーが東京市に寄贈した。 D4
千鳥が淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん)第2次世界大戦での戦没者の不明の遺骨35万柱を埋葬している。昭和34年(1959)に建設。 F4
国立近代美術館工芸館(きんだいびじゅつかん-こうげいかん)旧近衛師団指司部跡で明治初期の建物として保存されている。現在は染織、陶磁、 ガラス、漆工、木竹工、金工等の工芸や工業デザインを収蔵展示している。TEL03-5777-8600 F4
北の丸公園(きたのまるこうえん)東京を代表する桜の名所、千鳥ヶ淵に面し、池が配され芝生が広がる。 F4
科学技術館(かがくぎじゅつかん)一般の人に科学技術を広く普及させようと昭和39年(1964)に開館した総合理工学博物館。建物が星形をして建てられているのは、科学は人の手からと言う意味による。TEL03-3212-8458 F4
日本武道館(にほんぶどうかん)正八角形、銅板かやぶき屋根の法隆寺夢殿を模して造られた。東京オリンピック時は、柔道会場及び武道のデモンストレーション会場だった。 F4
昭和館(しょうわかん)戦中戦後の生活の姿を伝える実物の資料を収集、保存、陳列し、後世代の人々に伝えている。常設展示室は、当時の生活用品を8つのテーマに分けて展示。当時のニュース、映像、音楽などを閲覧できる映像室もある。TEL03-3222-2577 F3
靖国神社(やすくにじんじゃ)ペリー来航から昭和20年(1945)の第2次世界大戦の終戦までの殉国者、戦没者の霊を祭神としている。 遊就館 幕末維新からの軍事に関する参考品やレプリカ、遺品が展示されている。TEL03-3261-8326 D3
毎日新聞東京本社(まいにちしんぶんしゃ)明治5年(1872)、東京浅草の日報社からでた東京日日新聞(東京で初めての日刊紙)を始まりとする。三大新聞の一つである。TEL03-3212-5151 E4
神田本屋街(かんだほんやがい)本屋街の中心は神保町。明治30年(1897)頃、武家屋敷跡に学校ができ、それに付属して本屋ができはじめ、とくに関東大震災後、神田は本の街になった。パリのセーヌ河畔の古本屋街とともに世界的に有名である。 F3
大手町(おおてまち)江戸城本丸の大手門前の武家屋敷跡で、大手町ビル・新大手町ビルが昭和30年(1955)代に造られて丸の内ビル街と連なった。厚生労働省・気象庁・国税庁の各省庁やサンケイ・日本経済・読売の各新聞社などが建つ。 F4
将門塚(まさかどづか-しょうもんづか)家康が江戸に入る以前から平将門を祀る明神社があった。家康は明神社跡を新江戸城大手門正面とし、社跡を供養したがいつとはなく将門の首塚として崇められた。明治になり大蔵省の建物が建ったが、何かとたたりがあるので調べると将門塚の上とわかり、改めて祀られた。 F4
大手門(おおてもん)桝形門造の大手門は江戸城正門として、警備は10万石以上の譜代大名が当たっていた皇居東御苑への東からの入口がある。F4
皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)旧二の丸・三の丸・本丸跡は皇居東御苑として一般に開放されており、三の丸尚蔵館には皇室からの寄贈品が展示されている。TEL03-3213-2050 F4
同心番所(どうしんばんしょ)大手門を警護する同心が詰めていた所。同心は江戸城を警護する軽輩の武士をいう。 E4
百人番所(ひゃくにんばんしょ)鉄砲百人組のいた所で、大手内三ノ門を警備していた。25騎組・伊賀組・根来組・甲賀組の4組があり、各組100人ずつの同心がいた。さらに百人組に1人の頭を置き、頭は大名であった。 E4
旧二の丸 (きゅうにのまる)東南に二の丸池を中心とした回遊式庭園がある。小堀遠州作と伝えられる江戸時代初期の庭園をあらたに造園した。 E4
天守閣跡 (てんしゅかくあと)旧本丸御殿大奥の北にある。約20mの石垣の上にかつて5層の楼閣がそびえていた。 E4
旧本丸跡 (きゅうほんまる)天守閣のある本丸は、幕府の政庁である表向きと、将軍の公邸にあたる中奥向、将軍の私宅の大奥からなっていた。E4
旧三の丸 (きゅうさんのまる)平川門から南の大手門守衛所にかけて宮内庁病院・覆馬場などがある。E4
富士見多聞櫓(ふじみたもんやぐら)三重櫓の富士見櫓は、慶長11年(1606)の本丸造営の時、加藤清正によって櫓台が築かれ、海抜21m の本丸で最高所にある。 E4
読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)世界最大の発行部数を誇る日刊新聞。ここには全国の通信網と世界からのニュース原稿が集まり、編集、制作の過程を経て超高速輪転機で印刷、発送されている。新聞制作体験コースでは実際にパソコンを使って原稿入力や写真取り込みなど新聞作りができる。TEL03-3217-8399 F4
逓信総合博物館(ていしんそうごうはくぶつかん)コミュニケーションについて、実物や模型を使って展示。世界の切手19万点やテレビ電話、通信衛星の模型と仕組み、テレビスタジオの様子や放送のニューメディアなどを中心に歴史や未来の通信を実物や模型で展示している。TEL03-3244-6811 F4
東京駅(とうきょうえき)新幹線、在来線を含め1日に4000本以上の列車が発着し日本一。乗降客数では1日平均210万人と新宿駅の430万人に日本一をゆずる。駅を中心に開発進行中。 F4
東京国際フォーラム(とうきょうこくさい)文化と情報を国際規模で交流できる巨大空間。ホールと会議室、展示ホール、情報センターなどを備えた東京で初のコンベション&アートセンターで工事期間5年、総工費1650億円の建造物である。地下1階に相田みつを美術館がある。 F5
有楽町(ゆうらくちょう)織田信長の弟の織田有楽斎の江戸屋敷があったため、有楽町の名が起きたという。 F5
銀座(ぎんざ)銀座といえば、東京を代表する繁華街で、銀座で売るものは流行の最先端をいく一流品といわれている。今日、銀座にかわる繁華街はあるが、銀座の価値は失われていない。 F4
東京証券取引所 (とうきょうしょうけんとりひきじょ) 兜町の証券街は経済と共に証券市場の国際化も進み、現在、東証アローズという。マーケットセンターを始め証券史料ホール、東証プラザといった施設が見学できる。TEL03-3665-1881 F4
朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ)ネルソン方式という電子と光の新聞づくりをしている。IBM社と協力して昭和40年(1965)から15年の歳月をかけて研究開発した新聞製作技術である。明治12年(1879)大阪で創刊された。見学コースあり。TEL03-5540-7724 F6
新橋汐留(しんばししおどめ)貨物駅が再開発され高層ビル街に変わった。もとよりこの地は鉄道発祥の地。明治5年(1872)、国営の新橋・横浜間の鉄道が開通した。資材も車両もイギリス人が指導したが明治10年代には日本人の手で東京〜神戸間の東海道線が全通。鉄道は日本における経済発展の根幹をなした。 E6
築地市場 (つきじしじょう) 中央区築地5-2-1 青果門付近からは、流通が鉄道で行われていた頃の名残り見られる。 F6
ガスの科学館 (がすのかがくかん) 江東区豊洲6-1-1 屋根は緑の芝生、地球の恵みであるガスの世界の「なるほど」を実感。 G7
有明清掃工場 (ありあけせいそうこうじょう) 江東区有明2-3-10 臨海副都心には一軒家がなく、ゴミ管路収集システムによって収集。 G8
水の科学館 (みずのかがくかん) 江東区有明3-1-8 水の不思議と大切さを科学の視点で紹介する体験型ミュージアム。 G8
新木場 (しんきば) 江東区新木場1〜4 木場より移転。現在、丸太木材を輸入する事が無いので貯木場は空っぽ。 I8
六義園 (りくぎえん) 文京区本駒込6 1770年代・柳沢吉保の孫、信鴻の日記にはトキが頻繁に訪れていた。 E1
旧岩崎邸庭園 (きゅういわさきていえん) 台東区池之端1-3-45 都心では数少ない、カントウタンホポに出会える場所。 F2
上野恩賜公園 (うえのおんしこうえん) 台東区上野公園・池之端3 春の桜、夏の蓮、秋の紅葉、花の無い冬には冬ぼたんと四季が楽しめる。 F2
ユリカモメ (ゆりかもめ) 台東区上野公園 都鳥、不忍池では餌を手渡せる。中防ゴミ処理方法が変わり鳥が半減。
東京慰霊堂 (とうきょういれいどう) 墨田区横網2-3-25 陸軍被服廠跡、関東大震災にてここだけで3万8千人が亡くなる。 H3
國技館 (こくぎかん) 墨田区横網1-3-28 日本相撲協会が管理運営。1985年、国鉄ハイウェイバス車庫に建設。 H3
江戸東京博物館 (えどとうきょうはくぶつかん) 墨田区横網1-4-1 江戸東京の都市と文化、そこに暮す人々の声を感じることができる。 H3
深川江戸資料館 (ふかがわえどしりようかん) 江東区白河1-3-28 江戸時代の深川の町を再現しており、四季の季節の変化も堪能できる。 H5
夢の島 (ゆめのしま) 江東区夢の島2-1-2 戦前、飛行場建設のため埋立が始まり。1957年から10年間、ゴミ処分場。 J7
新江東清掃工場 (しんこうとうせいそうこうじょう) 江東区夢の島3-1-1 区外ゴミが6割近く。分類が異なることから廃プラスチック焼却が多い。 J7
東京スカイツリー (とうきょう) 墨田区押上1-1-13 運営は、東武タワー スカイツリー株式会社。建築物では世界第2位の高さ。 H2
三河島水再生センター (みかわしまみずさいせい) 荒川区荒川8-25-1 1922年稼働、日本最初の近代的な下水処理施設。浄化後、隅田川に放流。
一葉記念館 (いちようきねんかん) 台東区竜泉3-18-4 名作「たけくらべ」の舞台となった龍泉寺町の往時の町家の雰囲気が漂う。
B浅草寺 (せんそうじ) 台東区浅草2-3-1 都内最古の寺院。雷門・仲見世・五重塔・下町グルメタウンと見所満載。
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